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会社を終えて、弟のプレゼントを買いに天王寺Mio内にある新星堂へ。事前に「何が欲しい?」とメール尋ねると「ホワイトアルバム」と答えが返ってきました。音楽にはあまり関心の無い私でも、通称「ホワイトアルバム」と呼ばれている「ザ・ビートルズ」くらいは知っています。その中の「ブラックバード」は思い出のある曲でもありますし。弟は楽譜を買ってギターで練習はしていたのですが、CDは持っていなかったようです。
弟が一歳くらいの頃だったかなあ。「NHK 名曲アルバム」のテープを父が好んで聞いていたことがありました。父はあぐらをかいた足の上に弟を乗せて、いつも音楽に合わせて体を前後にゆっくり動かしていました。ある日、ひとりで座って遊んでいた弟がラジカセから「ユモレスク」が流れ出すと、ふいに体を前後に揺らし始めることに気がつきました。他の曲ではそんなことはないのに「ユモレスク」の冒頭の「タ、タン、タ、タン、タ、タンタ、タン、タ・・・」というメロディーが流れ出すと、決まって体を揺すり出すのです。まさに条件反射で、カセットを流さず私たちがそのメロディーを口ずさんでも同じ反応をするのです。面白いので、結構みんなこれで遊んでいました。弟が大きくなって本人にその話をしても全然記憶に無いらしく、「ユモレスク」にも興味がないようです。いい曲なんだけど。
「ホワイトアルバム」を買って、ついでに9階の旭屋書店をのぞいてみました。そろそろ「PLUTO」と「リアル」の最新刊が出てないものかと思い、コミックコーナーへ行ってみましたがどうもまだのようなので、店内の平台を見ながらふらふらと下りのエスカレーターの方へ歩んで行くと、姜尚中「反ナショナリズム」(講談社+a文庫)が目にとまりました。ってか、赤い帯に姜尚中氏の斜めショットがド~ンと乗っかっているのでイヤがおうにも目にとまります。メディア的に姜氏がいいのは、お顔よりも抑制された話方と振る舞いだと思うのですが、まあいいや、とりあえず購入。ここ十年くらいの論文やエッセイ、対談などを集めたもの。金時鐘さんや網野善彦さんとの対談が面白そうです。
今日は我が弟君の19歳の誕生日です。早いものでもう十代最後の年を迎えました。
弟は私が9歳の時に誕生しました。ちょうど19年前の夕方頃、預けられていた祖父母の家で夕食を食べている時、電話が鳴って「生まれた」と父から告げられた時の情景をよく覚えています。その時のことを学校の作文に書いたら、「大阪の子」という作文集に掲載されました。おそらく私の人生唯一の勲章でしょう。
その作文は結構先生に添削されて、今思うと私の文章がどこまで生きていたのかは怪しいものなのですが、一つだけ私が自覚をして「ウソ」を書いた部分がありました。作文の中に、出産後初めて病院から母と弟が戻ってきた時、母に弟の名前を尋ねると母に「当ててみ、最初に"ひ”がつくから」と言われ、兄と一緒に思いつく"ひ”で始まる名前を色々上げるものの、結局私たちは名前を当てることができず降参して母に名前を教えてもらう、という部分があります。掲載された私の作文では「ヒロト」ということになっているのですが、本当は最初に母が言った弟の名前は、なんと昭和天皇と同音の名前だったのです。当時の私たちはまだその名前を聞いて想起するある人物については全く考えが及ばず、まだ目も開いていない弟にその名で何度も呼びかけていたことを思い出します。にしても、いったい祖父はなぜそのような名前をつけようと思ったのか、今の私には大いに疑問です(戦前なら「不敬罪」?)。ただ、当てられている漢字は違うので、ハングル読みにすると昭和天皇とは異なった音になります。でも、もともと名前をハングル読みにしない家族の習慣から考えても、やはり疑問です、ハラボジ。
わたしたちの家族では、子供の名前はすべて祖父につけてもらうという決まりがあります。祖父は孫が生まれると何やら夜は部屋にこもってずっと名前を考え続けているらしいのですが、母によると大体「女の子」の場合は「テキトー」につけるのだそうで、確かに私の名前はY子、いとこはA子、T子、K子など、みんな「子」がつく演歌などによく出てくる名前ばかりです。それにひきかえ「男の子」は何やら変わった名前が多く、なるほど気合のいれ方が違うよなあ、と少しスネてしまったりしたのですが、数年前に祖父から名前の付け方について「二字目の文字に意味のある漢字を当てると、上の文字の意味が生きなくなる」のだというようなことを聞いてやや祖父に対するねじれた感情を元に戻したのですが、とりあえず今時の子供たちの「芸能人」みたいな名前のオンパレードの時代に生まれなくて良かったとつくづく思います。
作文に話を戻すと、最初はそんな名前だった弟がなぜ呼び方を変えたのかというと、そこはいまひとつはっきりしないのです。役所に届けに行った父が帰ってきた時、名前を「ヒロト」に変えたといい、それ以後彼はその名前で呼ばれるようになったのですが、父が今後の息子の人生を考えてそのように変えたのか、役所で何かトラブルがあったのか?事実は雲の中です。でも、変えてくれてよかった・・・。
でまあ、そんな弟の誕生日に今日の様な出来事が起こったという因果なめぐり合わせに、苦い思いを抱いている弟思いのの姉なのであります。
昨年までオモニハッキョ来られていたKオモニから葉書が届きました。Kオモニは、昨年末に瓢箪山にキムチのお店を始められ皆で喜んだのですが、その忙しさゆえ、しばらくハッキョはお休みされていました。今年の夏、N.Y.留学を控えたF君がオモニに挨拶に行きたいということで、一緒にオモニのお店に行ってみることにしました。
瓢箪山は、駅を降りるとちょうど線路を挟んで南北に商店街が伸びているのですが、オモニのお店は北側の商店街を抜けて少し行ったところにありました。お互いにオモニのお店に行くのは初めてなので、お店を見逃すまいと左右をキョロキョロ見回しながら歩いていると、遠目に「キムチ」と書かれた旗が立っているお店をみつけました。ここかなあ・・・とお店の外からそーっと中を覗いてみると、急にガラっとドアが開いて「あら、まあ!」とビックリした顔のKオモニが出てきました。
Kオモニとは八ヶ月ぶりくらいお会いしてませんでしたが、相変わらずほがらかでお元気そうで、突然訪れた私たちにチジミやメンテ、とうもろこし茶などを振舞ってくださりながらしばらく歓談。商売の方はようやく慣れてきたそうで、でも始めたばかりの頃は一体どれくらいの量を作っていいのか分からず、お客さんへの対応に四苦八苦したとのことですが、今はなんとなくリズムが分かってきたそうです。キムチはやはり冬の方がよく売れるらしく、近所の会社の人から会社でキムチチゲ・パーティーをしたいので、作り方を教えてくださいなどという依頼もあったり、徐々に地域の人々にも浸透してきているとのこと。おしゃべりしながらも時々お客さんがやってくると、手際よく応対している姿を見て私たちはいたく感心しました。
二時間ほどお店にお邪魔した私たちは、キムチやとうもろこし茶などのお土産をもらい、オモニのお店を後にしたのですが、せっかくだから瓢箪山界隈を散策しようと、とりあえず有名な「瓢箪山稲荷神社」へ。ここは、豊臣秀吉が大阪城を築城するにあたり、守護神として祀らせたのが起源といわれ、伏見桃山城から「ふくべ(瓢箪)の神」を分霊したもので、ひょうたん形をした小高い丘にたっているのだそうです。あと、全国的にも珍しい「辻占(つじうら)」が行われていて、この占い方法というのが、おみくじを引いて東参道入り口の占場(うらば)に立ち、おみくじの番号が二番目なら二番目に通る人の性別や服装などを観察し、社務所に戻って宮司さんに報告し、それをもとに宮司さんは神意を判断するのだそうです。なんとなく興味をそそられましたが、でも、待っても待っても人が来んかったらどうするんやろう?猛暑だし、結構お高いし、思想信条に反するし、と思いやめました。
ところで、「キムチ」というと、最近「民団」のサイトで「キムチ・ネット」なるものを見つけました。「発酵してこそ本格キムチです!」を提唱し、最近スーパーなどで良く見られる日本産の「浅漬け型キムチ」に対して「熟成型」のキムチこそが「キムチ」と呼べるものであるとして、日本における「キムチ」認識の啓蒙をされています。私はスーパーの浅漬けキムチもそこそこおいしいものだとは思いますが、確かに時間が経った時キムチは「熟成型」と「浅漬け型」では、まったく風味が異なるというのは分かります。時間が経ってスッパ味が出てきた「熟成型」キムチは、キムチポッカ(いわゆる豚キムチ)やチャーハンなどにすると大変おいしいのです。わざわざ早くスッパクなって欲しいほどです。ラーメンとかに入れてもスープにコクが出て一層味がましますし。他にこのサイトでは全国各地のキムチやさんを紹介しているので、身近なキムチ店を訪れてお気に入りのキムチ店を見つけてみるのも楽しそうです。
今年の一学期から一緒にお勉強をしていたYオモニが、韓国に住む娘さんの出産が近いので、娘さんを支えるためにひと月ほど韓国へ帰ることになりました。そのため、私はしばらくフリーになったので、新しいオモニについたり、他のクラスのサブで入ったり放浪生活をすることになりました。マン・ツー・マンでやっていると、ともすると教え方が単調になってしまったり、自分の間違った教え方に気づかなかったりするので、こういう時の経験はとても役に立ちます。Yオモニがいるとそれはできません。というのは、オモニたちはなんというか、「刷り込み」のような
ものがあって、ハッキョに来て最初に勉強をしたスタッフを「私のせんせい」と思ってしまわれるのです。生まれて初めて「学校」や「日本語」を経験されたりするオモニが多いわけですから、不安でそうなってしまうのは当然なのですが、ただ、特に私の担当している「あ組」の場合はオモニもスタッフも出入りが激しく、スタッフ不足や何かがあった時、別のオモニを受け持ったり、また他のオモニらと何人かで一緒に勉強をしなければならないことがあります。そうすると、次の授業の日からもう来られなくなる、という残念なことが多々あります。私も何人かのオモニでそれを経験し、反省しているので、今のYオモニは、オモニが「あんた、もーえーわ」と嫌がられるまでずっと一緒に学びたいと決意をしています。
そんなYオモニとの授業で、面白い発見がありました。
Yオモニとはオモニご本人の希望でずっとひらがなの読み書きをやっていたのですが、ひょんなことから「スーパー」という言葉が出てきて、「『スーパー』はカタカナですから『すうぱあ』でなくて『スーパー』と書くんですよ」というと、「アイゴー!」と驚かれ、「すうぱあの「ー」が「う」?「ー」が「あ」?」と言って大笑いされました。
そして「せんせい私、『スーパー玉出』によく行くけど「ー」がなんか分からんかったです。ああ、「ー」は「字」やったんか~。私、なんでこの棒、何かなあってずっと思ってたんです。」そう言って
また「アイゴー」を繰り返しながら何度も「スーパー」の文字をノートに練習されていました。その驚きと喜びに私も嬉しくなりました。「そうなんですよ、この「棒」は字なんです。すんませんねえ、ややこしくて。」とお詫びを申し上げて、オモニの大好きな喫茶店のメニューの「コーヒー」や「ケーキ」もそうですよ、などと例をあげるとまたまた「アイゴー!」っとビックリ大笑いの楽しい授業でした。
・・・・にしても、
「ー」っていったい誰が考え出したんでしょうか?はっきり言って邪魔やなあ。「スウパア」でええやん。
ってか、「カタカナ」もいらんやん「すうぱあ」でええやん(それはアカンかな?)
難波のジュンクにて。
「戦争の罪を問う」ヤスパース著/平凡社ライブラリー
「腹ぺこ」メインテキスト。意外と読みやすそう・・・?
「布のかさなり、つぎはぎの美、ポジャギ」崔良淑著/日本ヴォーグ社
ポジャギとは韓国のパッチワークの様なものです。
秋の夜長の季節。久々に手芸でもしようかな。
<追加>
もう多分10年以上前になると思う。バート・ランカスター目当てで
「ニュールンベルグ裁判」をビデオで見ました。内容はあまり
覚えていないのですが、B.ランカスターはドイツの高名な裁判官で
あった被告の一人を演じていました。そしてニュルンベルク裁判で
彼らを裁く裁判官をスペンサー・トレイシーが演じていて、他に
マレーネ・デートリッヒが出ていたのも覚えています。
法廷では、ホロコーストに関わったとされる人物が被告として
次々と登場するのですが、皆「自分は知らなかった」と容疑を
否認し続けます。B.ランカスターは確かずっと黙秘していたような
気がしますが、最後に彼は「自分たちは全て知っていた」と告白
し、自分の罪を認めます。ただ、彼は人格者として多くのドイツ人
から尊敬されていて、その彼が「有罪」判決を受けるとなると、
もうドイツ人はドイツ人として立ち直れなくなってしまう、と
マレーネ・デートリッヒらはスペンサー・トレイシーに懇願します。
また、裁判自体も、米・ソの対立状況によって判決に政治的圧力が
かかり、公正な判断を下そうとするスペンサー・トレイシーを悩ませます。
そして、スペンサー・トレイシーは「有罪」の判決を下します。
裁判が終り、スペンサー・トレイシーはアメリカに戻る前に、刑務所
に収容されているB.ランカスターに会いに行きます。そして、
B.ランカスターは「あなただけには信じて欲しい」と言って「本当は
知らなかったのだ」と裁判で偽りの告白をしたことを告げます。
その時のスペンサー・トレイシーの言葉がこうでした。
「あなたが最初に罪のない人に「有罪」の判決をくだした時に
全てが始まったのです」
このシーンは強烈に印象に残っています。
もう一度見たいのですが、近くのレンタルにはなかったので
どこかで見つけられたらと思います。(覚えているのと全然違う
内容かも知れない)。
最近、購入したもの。
1.「儒教とは何か」加地伸行著/中公新書
前から気になっていた「儒教」に関する入門書。この著者は、
「儒教」に関する従来の「宗教ではない」という解釈を批判。
「儒教」の宗教性を強調している。冒頭の日本の葬式の仏・儒・
神の習合ぶりは面白かった。「儒教」が宗教的側面を大いに
もつことは分かったけれど「宗教」の解釈にもよると思う。私は
父親から「儒教とは『教え』であり、つまり学問であり『宗教』では
ない」と教えられてきたせいか、著者の立場にはちょっと留保。
(半読)
2.「朝鮮儒教の二千年」姜在彦著/朝日選書
動機は上に同じ。朝鮮半島における儒教の功罪について
勉強になりそうに思ったので。姜在彦さんについては、これから
もっと読んで、なぜ朝鮮半島が日本に併合されたのかについて
勉強したい。(未読)
3.「街道をゆく2 韓のくに紀行」司馬遼太郎著/朝日文庫
11月に釜山~慶州~ソウルへ旅行に行くので。本当は
済州島に行くつもりで「街道をゆく28 耽羅紀行」を読んで
いたのだけど、NHKで放送されていた「オール・イン」の
せいか飛行機のチケットがとれず、急遽予定を変更。ただ、
この本は約20年くらい前の話だから、その頃よりも随分
変わっているだろうな。(未読)
4.「八月十五日の神話-終戦記念日のメディア学」
佐藤卓己著/ちくま新書
10月の読書会のテキスト。戦後どのようにして
八月十五日=「終戦」となっていったのかの謎を解く本。
(未読)
5.「日本とドイツ 二つの戦後思想」仲正昌樹著/光文社新書
10月の「腹ペコ塾」用。あと二週間、読めるかなあ・・・。
(未読)
6.「オンドル夜話 現代両班孝」尹学準著/中公新書
もはや、データのダウンロードによってしか出版物として
手に入らないのですが、アマゾンのユーズドで発見&ゲット。
先にあげた司馬遼の「耽羅紀行」の中でこの中の文章が
たくさん引かれてました。最初の方の著者の祖父に受けた
厳しい漢文教育の話や、著者の周囲の様々なエピソードが
面白かった。(ちょい読)
図書館で借りたもの
7.「戦争責任」家永三郎著/岩波現代文庫
「腹ペコ」用に向けて。「戦争責任」を考えるきっかけとなった
のは、戦争に対して「傍観者」であった自己自身への罪の
意識からという倫理的な態度にまず感銘を受けました。責任の
対象と問題を整理されている感じなので資料的価値も高そうです。
(ちょい読)
8.「戦争責任と『われわれ』」ナカニシヤ出版
「腹ペコ」用。一部読了。
9.「東北アジア共同の家をめざして」姜尚中著/平凡社
10.「東北アジア共同の家」和田春樹著/平凡社
実現できたらスゴイと思います。まだその構想について
全く無知なのでこれから色々知りたいと思います。(未読)
以上。
あとヤスパースの「戦争の罪を問う」(平凡社ライブラリー)
を探しに行こう。まず、これを読まねば。
昨日は、衆議院解散総選挙の日でした。
私は、選挙権がないので、選挙に行くという知人に付いて
その人が投票する小学校に一緒に行きました。
投票所に観察に行くのは前の選挙のとき以来二度目の
ことでした。
さすがに体育館の中にまで入ることはためらわれ、入り口の
最高裁判官の名前が一覧に貼り出されているところで、その
名前を見たり、こっそり中をうかがったり、私の横を投票権の
証の葉書を握り締めて中に入って行く人を「この人、自民っぽい
な」など勝手に詮索したりしながら、知人が投票を終えて出てくる
のを待っていました。
今度の選挙はひどい結果になるだろうな、とは予想しつつも、
でも何がしかの期待はしていました。周囲に非自民が多いことも
ありますし、およそ、郵政民営化だけの議論で自民党を選ぶような
そんな有権者ばかりではないだろうと、期待していたのです。
が、夕方からの開票結果を見ていて、失望と怒りと恐怖とが
ないまぜになって押し寄せてきました。
夜になって別の知人から携帯にメールが入りました。
「なんか脱力感・・・投票権ないほうがましやな・・・。」
私は、確かに傍観者の位置に立って横槍的に文句ばっかり
言っているので、何かをやろうとしてそれが無に帰するという
絶望感は、味わっていないかも知れません。
「イルボンサラン ヌン チョンマル パボ イエヨ?」
(日本人はほんまにアホちゃいますか?)
と、イヤミなメールを送り返し、その人の脱力性を軽く
揶揄したのですが。
でも、こういう時には帰化してでも自民党や民主党でない
社会作りに参加したい、と改めて思ったりしますが、姜尚中が
テッサ・モーリス-スズキさんとの対話「デモクラシーの冒険」
で話していたように、
「在日が投票権を獲得して、事実上、日本国民と変わらない
権利が与えられたとして、それで民主主義が拡大したことに
なるかといえば、僕はそうではないと思います。あるマイノリティ
集団の問題が解決するかのように見えたとしても、非民主的な
領域は別の領域に拡大、拡散していくだけなのかもしれない。
あるいは、そういう形で、マイノリティ集団の分断が進んで、
連帯の可能性がなくなっていくとも考えられます。・・・・・
在日コリアンの問題だけに限定してしまうと、じつはそうした
民主化と非民主化の同時拡大の光景は見えなくなってしまう
んですね」
ということをしっかり考えながら、行動を決めていきたいと
思い直した9.11でした。
おととい旭屋書店に行って目にしました。
「チマ・チョゴリの詩がきこえる」(小学館)という川崎に住む
主に在日1世の暮らしを収めた写真集です。
私も「いくのオモニハッキョ」を手伝っているので、同じような
コミュニティで生活をするオモニたちの様子を見ると、とても
親近感がわきます。
この写真集を見て、私が在日の高齢者にかかわる中で、
よく考えていなかったことに気づかされました。高齢者である
オモニが病気になったり一人で生活ができなくなった時の
オモニたちへの援助の仕方です。例えば「認知症」になったとき、
オモニの口から出る言葉は幼いころに覚えた本国の言葉で
あったりします。そのような時、オモニが伝えたいことを聞き
取れるように、もっと韓国語をしっかり覚えないといけないな、
とか、介護に関する知識も増やさないといけないな、とか、
いまさらながらオモニらと関わっていくスタンスについて反省しました。
「ハッキョ」に来るオモニはみんなお茶目でお元気なので、
ついついそんなことを忘れてしまいます。でも、実際には七十を超える
ご高齢の方が多いです。恐らく日本で最後をむかえられるでしょう。
医療や福祉で差別や不利益を被らないよう、考えていきたいと
思いました。![]()
これから感想をアップしようと思っている書籍。
1.「怒りの方法」(辛淑玉/岩波新書)・・・読了
2.「鬼哭啾啾」(辛淑玉/解放出版社)・・・読了
3.「多民族国家 中国」(王 柯/岩波新書)・・・未読
4.「僕は写真家になる!」(太田順一/岩波ジュニア新書)・・・未読
5.「アリランの歌」(ニム・ウェールズ/キム・サン/岩波文庫)・・・読了
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